ありがとう水島さん BALANCE AUTO  今日はお別れの日

この歳になって久しぶりに声をあげて泣きました。

BALANCE AUTOの水島さんが亡くなりました。詳細は以下に公開されておられます。

https://ja-jp.facebook.com/BalanceAutoPartsWarehouse/

 

 

 

 

 

 

 

9年ほど前のこと。FLATWELLの平井社長からの紹介。

「水島君っていうねん。広島から出てきて、今日から大阪で独立することになってん。こっちではまだ取引先がほとんどないから業者として付き合ったって」

が出会いでした。その時は今とは違い、アメリカンカスタムがメイン。

 

 

 

その時からすでに独特のセンスとオーラがある人。なによりも営業先で初めての同じ歳で、お互いガンダム好き、しかも名前も同じとあってすごい親近感。

かたや独立直後の新社長、かたや営業2年目のズタボロ新人営業マン。

何より嬉しかったのが当時、お互い三菱エクリプスに乗っていたこと。

 

 

シルクロード社内も営業先もレース関係者などが多く、「クルマはFRだ」「クルマは4WDだ」なんて雰囲気で、見た目がカッコ良くてもFFのエクリプスは、ほぼ全否定。水島さんからもらった最初の仕事は、エクリプスの幌の折れた骨の溶接(笑)。工場に「こんな仕事勘弁してよ~」って嫌がられても、自分が認められたような嬉しさでいっぱいでした。

起業直後で仕事が無い時から、未来の夢を具体的に描いている人で、しかもそれを実現しそうな雰囲気がありました。

そしてその通り、数年でBALANCE AUTOは一気に注目ブランドに。

 

 

 

 

 

 

ただ、起業して2年もたたないうちに、

「あ~、俺、白血病になりました。でも仕事は続けます。病院からでも指示出しますのでお願いします

と、サラリと言われたうえ、そのことを闘病日記としてもブログで公表してしまい、そこからの活躍は驚きの連続でした。

発病から7年あまり、体調が良い時もあればダメな時もありましたが、仕事は常に精力的で、こちらからすれば病気は勘違いか、もう治ったんじゃないかと錯覚してしまうほど、バリバリ働いておられました。

今回も入院されたのはいつも通りで、相変わらず病院からでもガンガン問い合わせや、お怒りの連絡(笑)をいただきます。一ヶ月もしたらいつもどおりでてくるだろう、程度の認識でした。

そして、昨日の朝、スタッフさんから電話をいただき、BALANCE AUTOに慌てて行きました。みんな茫然としています。ワタシも茫然としています。Mr.ZAKIさんから絞るように吐き出した一言は、

「今月24日、ホイールがメインのイベントなんです。これにものすごく力を入れていて、あともう少し頑張ってくれたら見れたんですけどねえ……………」

ポートメッセ名古屋で開催されるWHEEL IMPACT JAPAN。

準備と仕事に追われている最中に危篤の連絡で病院に行ったそうです。

「目の前で横たわっていても全然信じられなくてね。手を触っても暖かくて、今にも起き上がって『ZAKIさん、アレの準備できてる?』ってきかれそうで… 」

 

 

 

今日は、お別れの日。

水島さんの人徳のすごさを再認識しています。取引先関係の社長連中から電話が鳴り続け、お別れの日を教えてくれと問い合わせ。私個人はFACEBOOKはやっておりませんが、FB上でも水島お祭り状態になっているよと連絡もいただきました。

クルマ屋さんではなく、クルマ文化を生み出している人でした。流行に振り回されず、自分が良いと思ったものをクルマを通じて表現し、そこに人が集まり、またそこから新しい文化が自然発生する。流行に乗ることよりも、数百倍ものエネルギーが必要なのはそれを作り出すことです。人が集える新しいクルマ文化を生み出した水島さんに、クルマ業界で働くものとして、そして一個人としてご冥福を心よりお祈りいたします。

今回のことは、ブログに書くかどうか迷いました。けれど、水島さんが自分の体と命を削りながら、家族に支えてもらいながら、そしていろんなものを犠牲にしながら生みだし、育ててきた会社がBALANCE AUTO。 私の勝手な想いですが、これからの存続も願っておられるのではないかと思っており、これからBALANCE AUTOがさらに飛躍することを祈り、それをほんのわずかな人にでも伝えることが私ができるささやかなことだと思い、あえて綴らせていただきました。

とにかく朝早く目が覚めてしまい、不思議な気持ちです。お別れするのかあ… 営業携帯にいつもどおり、今にも水島さんから問い合わせやお怒りのメッセージが届きそうです。そして、今日、初めてそれが来てほしいと思っております。