3UP 祝20周年! そして今後のアフターパーツ業界について…

クルマの競技もドレスアップもはっきりいって未経験に近い私。クルマ談義はあまりお付き合いが出来ないダメ営業マンです。

そんな私をドリフト業界で著名な3UP三上さんと岡崎さんが長時間相手をしてくださり、晩御飯をお世話になり、なおかつ宿泊し、あげくの果てに、翌日モーニングまでいただいています(合掌)

 

このデジタル時代に、このアナログ的なお付き合いは非常に嬉しいのです。同じ釜の飯を食い、一晩を過ごすというのは、人間の本能に直接響くものがあるのです。

今回も、食後のあんず棒なるものを食べながら(関西人にはなじみが無い)、あーだ、コーダと話していると、ふと、三上さんいつ3UP立ち上げたんですか?と質問してみました。すると、

「え?」

と沈黙のあと、岡崎さんもキョトンとしながら、二人で考え込んでいます。

 

「24歳のときっス」

との返答。私も、岡崎さんも、三上さんもみんな同じ45歳同士だから… 3UP、今年20周年?21周年? じゃあ、20周年、お祝いしなきゃ!

「中途半端だな21周年って~」

 

いいじゃん、20周年で! 変なところにこだわるなあ。

スゴイことです。私個人はこの業界で働き出して20年弱ですが、当時の雑誌などで華々しく輝いていたショップやブランドなどは大きく変化しています。20年生き残るというのはどの商売でもスゴイことです。

そんな話をしているとやはり昔話が出てきます。

岡崎さんが、「三上さん、昔はロンゲだったよね? しかも金髪。 あれはウケる!」

あんずボーを噴出してしまいました。え?と昔の写真を見ると…

http://www.e-3up.com/archives/59#more-59

だれ? 怖い… 営業先でこんなヒトが出てきたら、二度とこのショップには行く勇気がわかない…

 

 

本人曰く「のりでやった罰ゲームの結果なんです」とのこと………

 

 

 

 

ヒトのことはいってらんないですよ、岡崎さん…

http://www.e-3up.com/archives/73

「私だって、この頃は若くてドリフターでそれなりにチヤホヤされてたんだYO!」

はい…

 

 

 

 

PS2のゲームインプレまでやってたんですね…

ゲームやってるところなんか見たこともないゾ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ページ左上の岡崎さんは、今まで見たことの無い凛々しさ! 初代D1女性ドライバーだったんだ!! スゴイことです、どの分野でも第一人者になることって。

しかもこの頃はD1全盛期。今も営業訪問させていただいているURAS野村さんや、ランフリーのチャンプ山下さんも(この頃太ってたんだ!)大活躍してたんですね。私は当時もドリフトや車に興味がなく、ほとんど知らなかったのですが… 今、みなさまとはお仕事を通じてお付き合いさせていただいていますが、歴史をふりかえると黄金時代を支えてきた英雄達です。

さて、本題の20周年の話をしていると、どうやら当時色々あったようです。

「立ち上げて2年目で、クルマ盗まれたり、借金だらけになったり、お客さんのツケ払ってもらえなかったりで、もう嫌になって26歳のときに『やーめた』といってサヨナラパーティーまでしてもらって、海外へふらっと遊びにいったんです」

やっ、やめた!?

 

 

「現地で結局レースのメンテ作業を手伝うことになったんです。作業していると楽しくって、やっぱりクルマ好きだな~って思って、このまま帰国したときに、お客さんから何か依頼が一つきたら、再開しようかと賭けをしたんです」

 

 

 

「そしたら作業依頼が来て、めでたく再開。そのままずるずる今日に至ったんですョ。だから今、厳密には再開してからだと19周年?」

なるほど。ロード第2章がスタートしてたんですネ。

 

 

 

1999年の「中古車情報」という雑誌に岡崎さんが掲載されていました。

http://www.e-3up.com/archives/72#more-72

「AE86でずっとドリフトしていて、廃車にしたら三上さんが、『好きなの選びな』といってシルビアを三台、白、青、緑を並べていたんですよ。で、緑選びました」

これが3UPカラーの始まりか。

「びっくりしましたよ、AE86から乗り換えたら、『めっちゃ楽にドリフトできるようになった~』って。嬉しくて、嬉しくて」

嬉しくて、その後もいっぱい廃車…

 

話は3UPの20周年の記念に何をするかで盛り上がりました。とりあえず、大きなことでなくても何かをしたほうが心の整理や今後の方針を立てるきっかけになるものです。当社も40周年の節目で対談をやりました。ようするに昔話ですね。

http://silkroad-jp.com/silkroad/40th-anniversary-talk

 

 

 

三上さんとは商売以外の話のほうが大半(仕事しろよ)。

お互い、気になるのは流行りのパーツなどではなく、クルマ業界そのものがどうなるのか、そして日本と世界がどうなるのか、なんて話を、カッコつけるわけでなく、しています。結局、世界の流れが日本を動かし、日本の流れがクルマ業界を動かすのですから、大きな視点を見ていないと商売は長期間やっていけないのです(キリッ)。

二人で最近話していたことが、数字となっていよいよ現れてきました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20~30歳の若者が、70歳以上の足腰が弱くなり、運転や外出が厳しくなっている世代よりも、外出をしない、ということです。良い、悪いではなく、今後こうなっていくのです。外出しないということは、クルマも乗らなくなります。今まで、友達に会うためにファミレスに行く。ファミレスにクルマに乗っていく。外にでるのだから服もクルマも、そんなに趣味ではなくとも、たしなむ程度に流行のものをそろえておく。そんなヒトがドンドン居なくなるということです。

悲観的なことではなく、これが現実。

そもそも、シルクロードが創業した40年以上前は、それこそクルマを買うことすら大変な時代。部品はレース用以外は基本的に全て違法扱い。そんな時代でも立派に創業してやっていたのです。時代の変化は必ず起きるもの。一喜一憂するものではないのです。今までと同じように同じものをやっていたら楽ですむ、ということがなくなっただけ。

 

 

 

三上さんは今までやってきたドリフト車両製作、そしてネオ旧車となったシルビアとスカイラインのクルマをメンテするという仕事の2本柱があります。そして今、第3の新たな柱として、お客さんにモータースポーツの楽しさを伝える機会の提供を課題に掲げられました。具体的な内容もほぼ決めているようです。さすがです。

シルクロードも負けていません。毎週、土曜日の会議に色んな意見が各部署の担当者から持ち込まれ、議論をしています。この数ヶ月、ようやく当社も具体的な方向性と何を作るのかということが明確になってきて、すでにいくつかの商品の開発が始まっています。

「商いは飽きない」