シルクロード50周年記念対談『インタビュー with プロフェショナルズ』①
株式会社キノクニエンタープライズ
代表取締役 安村俊哉さま
司会
記念対談トップバッターのご快諾、ありがとうございます!
この場をお借りしてキノクニエンタープライズさま創業50周年を改めてお祝い申し上げます。
当社会長が御社へ飛び込み営業して以来50年、今も続くお取引に感謝いたします。
安村代表
お互い長いよなぁ(笑)。
~ 起業前夜 ~
司会
この機会にどうしてもお伺いしたかったことがあります。
起業前の仕事は何をされていたのですか?
安村代表
2級建築士。
司会
えーーっ!? クルマと無関係!!
安村代表
学生時代に資格とってからの1年半だけ。
パソコン無い時代だから定規や分度器使って手書きというのが大変だった。
司会
実際に設計されたことはあるのですか?
安村代表
和歌浦の潮風荘という観光ホテル、さすがに今はないと思うけどね(現存してました!)。
小松原の中華屋さんも含めいくつか実績があるよ。
とにかく図面の手書きが嫌だったところにショップ開業の話がきたので飛びついた。
両親が経営していたガソリンスタンドに某タイヤメーカーNo.2が来て勧誘してくれてね。
司会
建築士とは全然違う仕事で戸惑いませんでした?
安村代表
ぜんぜん! クルマは大好きだったからね。 生まれて初めて乗ったクルマはバーフェン付きTE27レビン。
司会
ご両親は反対しませんでした?
安村代表
ガソリンスタンド経営者だからむしろ喜んだよ。
~ 起業25年目で訪れた人生最大のピンチ ~
司会
自社の増築や系列店の間取り設計にかかわっておられた理由がわかりました。
そんな経緯で開業されたショップキノクニは25年目で終業し新たな展開をされます。
何があったのですか?
安村代表
一言でいえば借金。
最高額はヤバくて言えない(笑)。
司会
数億円単位!?
安村代表
まあ言えん(笑)。 額もさることながら当時は金利が高くて7.9%~8.2%だったかな、すごくキツかった。
利息だけでウン千万!
当時のチューニングショップは小売業も同時並行。 ネットや通販が無いからパーツは店で買うのが当たり前。
となるとチューニング設備だけでなく商品在庫も大量に必要なので資金繰りが大変。
そしてツケ(掛け売り)が基本だったからカネを払わず逃げる客が増えるとすぐに火の車。
当時は農地が担保にできたから借金がどんどん膨らむ中で仕事を回してたなぁ。
返済を考えると眠れず、勝手に涙がでて止まらんかったことも・・・。
司会
現在の華やかなキノクニの営業活動と安村社長からは全く想像できませんね。
この絶体絶命のピンチとどう対峙されたのですか?
安村代表
借金をバンザイしないと決めて頑張った、それだけ(笑)。
司会
99%アウトの状況下でその決断…(汗)。
安村代表
忙しいだけでカネを回して借金だけが膨らんでいく毎日。
商売がいくら繁盛しても集金できなければ無意味だと思い知らされた。
司会
この状況を打開するためにショップ業をやめて事業転換を決意されたわけですね。
結局、借金はどうなったんですか!?
どうやって業務内容を転換させたんですか!?
安村代表
おまえさん商談の時より熱心でしつこいナ(笑)。
司会
聞きたいに決まってます! 倒産確実の状況から復活する話ですよ!
安村代表
正直、当時のことを話すことはもちろん思い出すだけでもしんどい。
司会
現在のキノクニしか知らない人間にとってはとても信じられない。
~ ピンチからの大脱出 = キノクニエンタープライズの誕生へ ~
安村代表
キノクニエンタープライズへの転身は厳しいものだった。
まず通販用パーツ仕入れに英語も話せないのにいきなりアメリカへ飛んだ。
1回や2回では相手にもされず、取引してもらえるまでに20回はかかった。
司会
当時、海外のネット情報は限定的で便利なGOOGLEも誕生するかどうか。
国内はドコモiモード導入でガラケーで簡単な検索ができると大騒ぎしていた頃です。
そんな状況で借金を抱えながら渡航費用を工面し海外で新たな事業展開の準備なんて想像を絶します。
安村代表
そうすると「決断」したから。それ以上でもそれ以下でもない。
長年チューニングショップをやっていて同業者が欲しているものを一番わかっていた。
小売業をしていたことで仕入れと販売にも精通していた。
とにかくアメリカから商品をコツコツ貯めて通販をスタートする準備に集中していたよ。
司会
こうしてチューニングパーツ業界で唯一無二となる通販会社が誕生するのですね。
しかもアマゾン日本法人開設より以前の話です。
安村代表
そんなたいそうな話じゃない。
チューニング最先端アメリカの倉庫には涎ダラダラの商品が山盛り!
「こんなんがあるんか!こんなもある!こんなん絶対に売れるヤツやんかー!!」
一刻でも早く持ち帰り、すぐにお客さんに届けたいとワクワクしながら準備していたよ。
司会
ネットツール充実の現代ならともかく、あの時代の欧米パーツ輸入は思い付きでは難しかったはず。
距離、言語、コンテナ手配、送金、通関、メーカーとの信頼関係の構築は一朝一夕とはいきませんし。
安村代表
ウェインさんの存在が大きいな。彼が居なければ不可能だったかもしれない。
司会
どこの国の方ですか? いつからのお付き合いですか?
安村代表
ニュージーランド出身で40年以上の付き合いだから、起業して気付いたら隣に居たって感じ。
何事も努力だけでは達成出来ないことが多いからヒトとの出会いは凄く大切。
司会
安村社長はキノクニの経営に加え、新商品開発、カタログ製作、多角経営。
レストランやテナントの運営もされるオールマイティー型、しかも日々の受注電話までとってしまう(笑)
そういう器用な人って「自分の力だけを信じる」ケースが多いので意外です。
安村代表
自分一人でここまで来たとは思っていないよ、今があるのはみんなのおかげだと本当に思っています。
ただし借金の処理だけは自分自身の努力しかないけどね(苦笑)。
司会
「努力」とおっしゃいましたが具体的には何をされたのですか?
安村代表
チューニングショップから通販会社に切り替えたことだね。
地元の狭い範囲ではなく全国のお客様を対象にしたことで販売量が一気に変わると考えた。
とはいえ当時すでに雑誌広告を使っての通販はあった。
だから当時チューニング最先端だったアメリカの商品を引っ張りだすことで差別化を図った。
司会
現状から脱する方法を考え決断、その成功率が上がるよう工夫し、実行したことが「努力」なんですね。
宣伝はやはり雑誌だったんですね。
安村代表
まだまだ紙媒体が強かったらね、とはいえ予算が無いから小さな白黒ページを依頼。
できるだけたくさん掲載したくて虫眼鏡でしか見えないような文字をびっしり埋めたよ(笑)。
司会
初めて広告掲載した時はどうなりましたか?
安村代表
大反響!
コンテナ40フィートに満載の某メーカーオイルが一瞬で売り切れて困ったこともあった。
そんなこんなで悩まされ続けた借金も10年たらずでバンザイせずに完済。
~ キノクニエンタープライズを生み出した背景 ~
司会
こうやって明るくお話しいただくと勘違いしますが、そこまでの道のりも凄く大変だったでしょう?
安村代表
メーカーの信頼を得るために何度も通わないといけないから一番安いチケットを買う。
すると乗り継ぎだらけでアトランタ到着までに27時間かかる便しかない。
荷物が届かず関空に残っていたり、トランジットで途方にくれることは日常茶飯事。
ウェインさんが英語を話せるので救われたけど、その彼もなぜか常に物乞いに付きまとわれるし(笑)
アトランタでは「あの信号では必ず強盗に襲われる」と教えられ赤でも震えながら駆け抜けた。
中国では小さなプロペラ機に乗ってたら、さっきまでコーヒー淹れてたおっさんが操縦しとる!
CAと操縦士が兼任で嫌な予感がした瞬間、エンジンから火が出て知らない土地に不時着(笑)。
司会
笑い過ぎてお腹イタイ(爆笑)。
安村代表
海外では1秒すら惜しくて、早朝から深夜まで商品探しに移動し続ける毎日。
そんな時に困るのが食事でアメリカ内陸部は日本食が無く、2週間ほとんど何も食べれなかった。
ロスの空港でうどん屋の暖簾を見た時は、嬉しさと情けなさで泣いてしまった。
司会
そんな苦労の成果を全て掲載したのが名物カタログですね。
安村代表
最新版は400ページ超、重さ約1キロ。デジタル時代になった今も当社の最優秀功労者。
全国何千という取引先の質問に24時間365日、求められた瞬間に対応してくれる最強の営業マン。
司会
全国チューニングショップに置いているカタログ、欠品することがない膨大な品揃え、
そして特注ブレーキホースですら注文翌日に届く対応スピード。
これらのシステムを25年前から構築されている先見性に驚かされます。
加えて特筆すべきは掛け売りではなく現金取引のみであることです。
安村代表
メンテやチューニングの経験からたった一つのネジが無いだけで全ての作業が止まるということを知っている。
豊富なパーツ、豊富な在庫、何よりすぐに届くということを常に意識してきた。
現金取引のみという形態にしたのはショップキノクニをあきらめることにもなった掛け売りへの対抗策。
こちらは前払いをして商品を在庫しているのにお客さんが後払いというだけでも大変なことなのに、
支払ってくれない場合は新商品開発や仕入れに影響を及ぼすだけでなく会社の存続にかかわる
今なお「掛け売りしてよ」と言われるけど人生と会社が潰れる寸前まで追い込まれたことは忘れない。
大昔から世話になってきたシルクロードさんと数件のみは今も掛け売りだけどね。
司会
光栄です、ありがとうございます。
営業マンとして活動しているとやはり期日にお支払いいただけなかった経験はありますね。
色んな理由を必死で説明いただくと今までの付き合いしてきた情もあるので苦しい瞬間です。
安村代表
情っていうけど掛け売りは「商品を先渡し」している状態。
それに対して支払いがなければ「泥棒」であり「窃盗」、もちろん法的には違うけどね。
破産法があるけれど売った側は守ってくれないので当社は現金取引を選択している。
だから掛け売りでなくても買っていただける魅力ある商品とサービスを提供する努力は惜しみません。
~ アフターパーツ業界の今後 ~
司会
なぜ現金取引なのか、そしてその弱点をどう補うかまで考え抜かれていることに感銘いたしました。
さて残る質問はわずか、過去一番好きだったクルマを教えてください。
安村代表
一番印象に残っているクルマはRX-3。
足回りががたがたでフラフラ(笑)、だけどロータリーエンジンがよう回った。燃費が極悪でリッター3~4だったかなぁ。
司会
ガソリン代が怖くてアクセル踏めませんね。
安村代表
こっちはガソリンスタンドの息子やぞ(笑)。
一晩中走り回ってどのお客さんよりも一番ガソリン入れておやじにメチャクチャ怒られてたな(爆笑)。
司会
最後にお伺いしたいのですが、アフターパーツ業界の今後の見通しを教えてください。
安村代表
わからん、それは各々が自分で考えること。
ただしどんな状況でも大事なことは「努力、決断力、資金力」の3つ。
まずは決断、これが無ければ何事も始まらない。
ところが実行に移すときに資金が無ければ絵に描いた餅になってしまう。
この業界では儲かったら会社のお金をパーっと派手に使ってしまう人をたくさん見てきた。
資金をしっかりと蓄えておくことを平時から心がけておくことやね。
そして日々努力すること。
キノクニエンタープライズにとっての努力は新商品と新サービスを休まず作り続けること。
そのためには常に考え続ける必要がある。
私にとっては自分の手で毎年カタログを作ることが新商品を考えるためのライフワークになっている。
去年のカタログと全く同じ内容だったら「こりゃアカン」となるからね。
司会
アフターパーツ最大クラスの品揃をお持ちですから新商品を生み出すのは難しくないですか?
安村代表
商売に終わりはないよ、新商品も同じ。
アイデアが浮かばなくなる最大の要因は「売れるかどうかの不安」。
司会
新商品会議で真っ先に質問されるのは「それは本当に売れるのか!?」ですからね。
安村代表
一番バカな質問だよ、売る前から「絶対に売れる」ことがわかるなら苦労しない。
そしてそのくだらない質問をしている限り新製品は生まれてこない。
商品を買うかどうか決めるのは上司じゃなくてお客さん。
司会
スカッとしました!
安村代表
ウチでは新製品案は最低限スケッチか図面にし、できることならワンオフでサンプルを作る。
量産する前にできるだけ具体的なものでシミュレーションを行うようにしている。
大ヒットするものもあれば空振り三振もたくさんあるけど、まずは打席に立たないと何も始まらない。
それに爆死した商品が数年たって時代の変化で化けることもある。
たくさん打席にたって経験を積んでいくことでヒット率は上がっていくもんだよ。
司会
本日はとても勉強になりました、ありがとうございます。
40周年での三社対談では幅広い話題でたくさんのお取引先さまから大好評でした。
今回は個別対談で深く掘り下げることができ当社50周年に華を添えていただきました。
こうなると60周年はどうしようかと今から悩まされます。
安村代表
カンベンしてくれよ、80歳超えとるがな(笑)。
司会
40周年のときも同じこと言ってましたよ。どうせ現役バリバリやっておられますよ。
安村代表
じゃあ記念品に特注棺おけ作ってくれたら考えるわ。
司会
軽くて強いドライカーボン製かチタン製を用意しておきます!
株式会社キノクニエンタープライズ
代表取締役 安村俊哉様
この度は、弊社50周年記念対談『インタビュー with プロフェショナルズ』にご協力いただきありがとうございました。
これからも変わらぬご愛顧を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
2024年5月吉日
株式会社シルクロード 小河 潤