株式会社シルクロード 創業40周年記念対談
「40年の雑談」
司会
本日はご多忙の中ありがとうございます。
対談場所をご提供いただきましたキノクニエンタープライズさまには重ねてお礼申し上げます。
株式会社シルクロードは2014年9月を持ちまして創業40年をむかえました。
「過去を振り返ることで、これからのあり方を模索したい」という当社社員の希望を受け同じく創業40年目の株式会社キノクニエンタープライズ代表取締役の安村さま創業37年目の有限会社カワイ製作所相談役の川居さまに快諾いただき、本日の対談開催となりました。
それではよろしくお願いいたします。
以下の通り省略
(株)キノクニエンタープライズ 安村社長=安村
(有)カワイ製作所 川居相談役=川居
(株)シルクロード 小河社長=小河
"変わる"
小河
久しぶりに和歌山に来たけど、すっかり変わったね。
昔は田んぼしかなかった。
安村
そりゃ40年たつからね!
ショップを始めた直後に小河さんが飛び込みできたときから。
それからしばらくは、川居さんが当時はシルクロードの営業マンとして来てくれてたんだよなぁ。
懐かしい。
周辺当時の人口は1万ちょっと。今は5万人を超えて、岩出町から岩出市になったよ。
川居
当時は隣のガソリンスタンド以外何もなかったですよね。
今は飲食店にショッピングセンターもあって、街として充実していますね。
安村
確かに人口5倍にもなって街はそれなりに発展したよ。
けれど今もキノクニがチューニングショップのまんまなら、倒産か廃業しているね。
バブル以降どんどん景気が悪くなって、最近なんか夜の外食産業ですらひどい状態。
このあたりだと大阪で働く人がローンで家を買って、その支払いで精一杯。
節約で余計な外食や買い物は控えているよね。
川居
ショップ時代のキノクニは相当派手だった印象ですけどね?
安村
あの頃はお客さんも多くて、大きな金額を動かしていたことは事実。
けれど、20年ほど前はツケがきいた時代。
ひとりのお客さんで何百万というパーツ代や工賃のツケがあり、気づけばピークは2億円近くを銀行から借りて経営していた。
特に常連とはなあなあの関係で、破産したり逃げられたりもして、苦しかった。
ショップをやめることを決意したのは1992年。
通販の準備をして、軌道にのったのが1995年くらい。パソコン上で1995年からの顧客データが残っているからね。
小河
オレが飛び込み営業した40年前は、キノクニはアクセサリー屋だったよな?
司会
ええっ(驚)?
安村
そうそう、小河はんから色んなモノ仕入れたなあ。
小河
昔のクルマは鉄板ホイルで、ナットも普通のボルトナット。
メッキの化粧ナットを企画したらよく売れた。ホイルのふちにとりつけるメッキリングも売れたよなあ。
TOPYというメーカーのホイルもずいぶん売らせてもらった。
川居
そしてそのあとにエンケイがアルミホイルを販売開始したときのインパクトはすごかったですよね。
あれも爆発的に売れた。
小河
シートカバー、ボディカバー、純正フェンダミラーのペチャっとしたものをナポレオンのスポーツタイプにしたもの、どれも懐かしいねえ。
安村
当時はドアミラーもなかったよな。だから、オレ自分の車にドアミラーつけたら、警察に捕まって切符きられたよ!
(爆笑)
純正ドアミラーの無い時代から商売しているんだから、みんな歳とるわな~
小河
そうや。インターネットもナビもなかったんだから。
オレら営業マンはまず喫茶店でレーコー(アイスコーヒー)を飲みながら電話帳でその街のショップを調べて
紙の地図を広げながら飛び込み営業で取引先をつくってたんだよ。
そう考えると、とてつもない勢いで変化する時代と環境の中で我々は商売を続けてきたんだよな。
・・・
お互い、これは「やってこれた」のではなくて、「やってきた」んだと思う。
商売は40年単位になると、「変わらない」と続かない。
変化を恐れて同じことを繰り返していたら絶対に駄目になる。
それぞれが変化する努力をしたからこそ、今があるんだよ。
川居
確かに、言葉にしてみれば自分でもそう思いますね。
節目ごとに色んな人にアドバイスをもらったり助けてもらったりしながら、会社を「変えて」きましたね。
製造する商品にしても、その製造方法にしても。
小河
創業四百年以上という和菓子屋さんの話を聞いたことがある。
伝統的で創業の味を守っているように見えても、実は細かい味付け、材料、製法は時代に合わせて微妙に変化をさせ続けていると。
現代のように調味料があふれ、濃い味付けに慣れている現代人に、大昔の製法そのものを販売したら味気なくて食べられたもんじゃない。
伝統を守りながらも変えるべき部分はしっかりと変えている。
キノクニもアクセサリー販売から、チューニングショップを経て、今は全国にパーツを通販する会社に「変わった」。
地元のチューニング客数に左右されず、ツケ商売ではなく現金商売という形態にね。
司会
創業四百年という話がでてしまいましたが、それにしてもこの業界は30~40年以上続いているメーカーやショップは少ないですね。
いくらクルマ文化そのものの歴史が浅いとはいえ。
川居
話題沸騰で現れて、雑誌やイベントで華々しい活躍をしていたのに、ある日突然いなくなるということが結構多いね。
ブランド力があって、うらやましいくらい順調なのに、あるとき急になくなっている。
小河
やはり「変わる」ことを怠ったのではないかな。
この業界は、他の業界に比べて変化が著しい。お客さんの求めるもの、自動車の進化とそれをとりまく社会環境も物凄い早さで変わっていくからね。
“経営者と資金繰り”
司会
先ほど安村社長がお金の苦労話をされておられました。皆様の会社経営での苦労話はありますか?
川居
社長業で一番の悩みは資金。
若いときに勢いで起業したものの、お金の流れを考えてなかった。
売り上げが悪い月に、前月に大量に購入した材料代の支払いに四苦八苦したこともあったね。
それだけじゃない。会社を経営していれば、予測しない出費がたくさんある。
型取で預かった大事な車が壊されて多額の弁償費用が必要になったり、巨大台風で屋根が吹っ飛んで、機械や商品が大損害を受けたり
大きな取引先が倒産したり。
ただ、過去にシルクロードで働いていたときに、小河さんに身をもって教えてもらった教訓のおかげでなんとかやりくりできましたね。
小河
ああ~、手形で1500万やられたやつか(笑)。
確か、起業して1年目、6ヶ月手形を切られてちょうど6ヶ月目で計画倒産されたことがあったな。
川居
それですよ(笑)。
経理だった奥さんはカンカンで、僕は顔を見るのも怖かった(笑)。
司会
40年ほど前の1500万というと、現在なら5~6000万近い価値ですよね?
ましてや起業直後ですよね?
小河
そりゃとても大変だった。
しかも1500万事件の翌月くらいに和歌山のガソリンスタンドに150万貸して、これまた逃げられた。
一同
(大爆笑)
司会
そんな状況をどうやって乗り切ったんですか?
小河
まだ業界が新しく、商品が足りないくらいでガンガン売れたことが幸いだった。
知恵を振り絞って売れるものをどんどん作って、がんばって働いたらなんとかなった。
けれどこのときの教訓は大きい。
手形販売というリスクを負って大量にアクセサリー商品を量販店へ一括納品する販売形態とは決別してショップさんとお付き合いすることに方針転換した。
営業訪問から得られるチューニングパーツの情報をもとにオリジナルパーツを製造販売する現在のシルクロードに「変わる」大きなターニングポイントになったね。
安村
やっぱりみんなお金で苦労してるんやなあ。
さっきも話したけど、なにせ金が無いやつほど機嫌よくツケで商品をバンバン買ってくれるんだよ。
一同
(爆笑)。
安村
それに当時は車が壊れると誰のせいかでよくもめたんだよね。
「これ以上ブーストあげちゃいかんぞ」といってやっても、負けん気でブーストあげすぎてエンジンブロー。
でも「ブーストはあげてません」といいはる。仕方ないから2回目は部品代だけもらって、工賃なしで作業をさせられる。
司会
3回目はどうなるんですか?
安村
お客さん、ツケの借金ごと行方不明(笑)。
当時銀行は頼めばどんどん貸してくれるもんで、気付けば2億円の借金。
当時の銀行は利子がとても高く、7%、8%の時代だったから利子を払うだけでも大変だった。払っても払っても元本が減らない。
小河
バブル終わったころぐらいやな。利子では当時本当に苦労したな。
けれどその苦労が、お互い今につながっているね。
安村
そうだよね。もうツケはコリゴリ(笑)。 掛売りは二度としない!。
とはいえ、、昔からの縁で掛売りの会社が数社だけ残っていて、そのひとつがシルクロード。
掛売り先がほとんど無くてパソコンにフォームが無いので、シルクロードへの請求書は私が手書きさせてもらってます(笑)。
小河
おおきに(笑)
司会
お話をお伺いしていると、やっぱり「おやじ業」って大変なんですね。
小河
しんどいねえ。
多少会社が儲かっても、それを投資して新商品をださなければジリ貧になる。かといって新しい商品だして失敗すれば、利益が飛ぶどころか赤字のリスクもありえる。
おやじとしては、業績が多少悪かろうとも給料を上げてボーナスをバンバン出してあげたいという気持ちはある。けれど次の手を打つ資金を用意していないと結局会社がジリ貧になってしまう。
安村
うちは今年ちょっとよかったから、ボーナス出したよ!
小河
うらやましいな。もちろん業績さえよければ、ボーナスを出せることはオヤジとしてはサイコーだよね!
で、今年は何がヒットしたの?
安村
ラインやホース関係が良かったね。
小河
あの「RUN MAX」って商品か?
うちの営業の伝票チェックをしていて、いつも「なんだろな」と思っていたんだよ。
安村
オリジナルでいろんなホースやフィッティングを作っているんですよ。アメリカやヨーロッパにも昔から良いブランドはあるんだけど、やはり日本のマーケットのニーズは独特。日本人は精度を厳しく求めるし、チューニングするクルマの種類やそのスタイルもどんどん進化していくでしょ。
だから、日本人にも満足してもらえるような気の利いたホースやフィッティングを独自でも開発しているんです。
川居
私たちが商売を始めたころは、まだまだアメリカやヨーロッパのものが進んでいたし、日本製よりも品質や種類も豊富だったんですけれどねえ。
今となっては目の肥えた日本のショップやユーザーの要望に対応するには、私たち自身がオリジナルで開発するしかありませんからね。
安村
まさにそうです。
エンジンルームのパーツだって、昔は赤や青、メッキなどが人気だったのに、日本のお客さんは特に最近は「黒」、「シルバー」といった色を好むんですよ。 ところが、海外メーカーにお願いしても対応はしてもらえない。だから、自分たちで作るしかない。
小河
品質面でも海外製をそのまま日本で販売するのは難しいね。
安村
そう。悪い部分や改善案を説明しても、なかなか受け入れてくれないからね。
小河
世界ではそれが普通だろうね。それに比べると日本人はやはりモノづくりや品質に対して真面目。
アメリカ、ヨーロッパに限らず、われわれと近い人種であるアジア諸国の会社や工場でも、日本人の求める品質を理解して、商品を改善するように本気で取り組んでくれることはなかなか難しいし、ましてや問題がおきたときに謝罪してくれることすら珍しい。
だから、最終的にものづくりはメイドインジャパンに戻りつつある。
川居
そうですね。
確かに海外製品に価格で圧倒されたこともあったけれど、質を求める人もいる。
魅力的な価格も大事な要素だけれど、それ以上に安心、確実なものを提供することを心がけているからこそ、私たちは日本というマーケットで生き残れてきたんでしょうからね。
小河
ところで、キノクニという会社はどういうルートがあってアメリカやヨーロッパの商品をあれだけうまく購入できてるの?
安村はん、英語できたっけ?
安村
話せるように見えまっか?( 笑 )
昔から付き合っている友人に、クルマ好きなニュージーランド人がおったんですよ。これが本当に真面目なやつで。今も相談役という形でうちの会社に所属してもらっています。
今の商売を始めたころ、アメリカのアトランタで欲しい商品があったら、売ってもらえるまで何度も何度も一緒に通いましたわ。
小河
パートナーは重要やね。
うちも台湾、アメリカ、タイランド、韓国、中国、インドネシアと、いろんな国との付き合いがあるけれど、やはりそういう人との出会いがあって成り立っているね。
心が通う付き合いがなければ、日本で求められている商品の品質を理解してもらうことも難しいからね。
"特化する"
司会
そろそろ最後の質問をさせていただきます。
今後のこの業界の展望についてお聞かせください。
小河
え!?
まだ働けっていうの?
オレ、もう66歳やで。安村はんは?
安村
63歳ですよ。
川居
ボクは57歳ですが、社長は引退して相談役にさせてもらってますよ( 笑 )
小河
引退早いなあ~ ええなあ~
安村
うちはまだ引退できませんねえ。
カタログつくらなアカンから。
川居
キノクニのカタログ立派ですよね。捨てる人居ないでしょう?得意先いったら、どこでも必ず一冊おいてあります。
安村
あれ、ボクが作ってるんです。半年位、ほとんど部屋にこもりっきりです。それにお金もものすごくかかるんです。
でも、あれを作ったおかげで売り上げが倍になったんだから、やめるわけにいかない。
カワイ製作所もシルクロードもカタログも作ったらいいのに。
川居
カタログは確かに重要ですね。ただ、うちはOEM工場としての立ち位置を重視しています。
補強パーツとシートレールという2つの商品のスペシャリスト集団として特化することで、ひとつの工場の中で設計開発から製造まですべて完結させることに人材とお金を使っています。
わかりやすく言えば、メーカーさんは車を持ってきて希望を伝えるだけで、場合によっては1週間から1ヶ月なんて単位でオリジナル商品を販売できるようにしているのです。自社でデータも取るので、後からの修正や変更なんかにも対応できます。
ですから、ショップやメーカーさんが安心してOEM生産を依頼できるということが口込みとなり、それ自体が広報となっていますね。
ただ、おっしゃるとおり商品カタログ、ネットカタログを充実させていくことにも最近は力をいれています。
小河
シルクロードは完全に営業マン主体の会社だね。
モノを売り歩くだけではなく、ショップの店主さんに直接お会いし、膝を交えて深いお付き合いをすることで信頼関係を築く。その上で最新の情報や要望をもらい、会社に持ち帰り商品に転化する。
そうすることで最新のニーズにこたえる商品を開発できる。カタログ作りも立派なものだと相当お金はかかるけど、営業マン数人動かすこともまた莫大なお金がかる。営業車、消耗品、メンテ代、ガソリン代、高速代、日当、宿泊費など、営業の給料とは別に経費だけで年間一人あたり300万以上かかる。うちは、車高調をはじめ車種専用品が多いから、その時々の流行に適した商品を作るためには、過去もこれからも営業マンの活動が不可欠。
いずれにしても3社ともそれぞれが特化した戦略を持っている。
キノクニは汎用パーツの種類と在庫を圧倒的にそろえ、カタログで通信販売をする。
カワイ製作所は製造する製品を絞り、そのスペシャリストとしてOEM生産に特化する。
みんな手段は違えど、お客さんに何を売るのか、そしてそれをどう伝えるのかという手法を明確にして特化しているという部分では共通しているね。
司会
冒頭の話では会社を環境にあわせて「変えていく」とありました。この先どういう変化が待っているのでしょうか。
小河
一番大きな変化はエンジンではないかな。
キャブからインジェクションに替わり、今はハイブリッドが急速に増えている。そしていよいよ水素エンジンといわれている。すでに700万くらいでの販売が可能になって、補助金が200~300万くらいつくといううわさだから、現実的な選択肢に近づいてきている。
安村
ガソリン車はなくならんと思うけどねえ。
小河
今までの遊ぶためのクルマとしてのエンジン車はそれなりに残るだろうけどね。
川居
なによりガソリン車にとって重要なガソリンスタンドが、ピーク時の半分だといわれていますよね。
小河
燃費がどんどん良くなってしまったことが一番大きいだろうなあ。それとガソリンスタンドの改修義務でコスト倒れで廃業、もしくは倒産というケースだね。中国道では150キロくらいの区間にガソリンスタンドが無いという話もあるくらいだから。
川居
軽自動車がいまやリッター35kmの時代ですからね。ガソリン入れることを忘れてしまうほどですよ。
小河
今後、まだまだ伸びるだろうね。
リッター50km台も可能性はあるから、ますますスタンドが減るだろう。いずれにしても、今後エンジンがどう変わるかということは注視が必要。
司会
先ほど10年先ということでお話をさせていただきましたが、その前にまずは2020年東京オリンピックがありますね。
今日の皆様の元気ぶりを拝見していると、オリンピックのときにも今と同じくご活躍してそうですね。
安村
オリンピックまで生きてるかな(笑)
生きてたら人生で2度、東京オリンピックみることになるね。
司会
前のオリンピックの時にはテレビはあったんですか?
小河
バカにするなよ(笑)
あったよ、白黒だけど。でも、そういわれたらオリンピックのちょっと前くらいだと、うちには冷蔵庫がなかったような気がする。
司会
無かった?うそでしょ?
川居
冷蔵庫じゃなくて氷を入れる保冷箱がありましたね。
安村
そうそう。ガキのころなんか夏場の暑いときなんて、腐ったものもいっぱい食べさせられたね(爆笑)
だからオレらの世代は体も心も頑丈で、少々のことじゃ病気にもならん。
司会
その頑丈な肉体と精神があれば、次回シルクロードが創業50年のときにも対談お願いできそうですね。
安村、川居、小河
まだ働けっていうんかい!
編集後記
アフターパーツ業界に歴史書というのは存在しません。
本日の対談のおかげで、私たち若い世代が知らないその歴史のほんの一部に触れることができました。
時間を忘れるほど楽しいお話で、お三方ともクルマが好きで、どうすればより多くの人が楽しくクルマに触れることができるのかを考えて経営をされていることが、言葉にはなくともひしひしと伝わってきました。
私たち株式会社シルクロード社員も今後も一丸となって、「より速く、より安全に」をモットーに、健全なモータスポーツと自動車文化の発展に貢献すべく、さらに努力を重ねてまいります。 今後もよろしくお願いいたします。
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